北へ'96 (米代川)

今では米代川にはサクラマスも鮎も復活し、釣人もたくさん訪れるようになった。

そして汚染の元凶だったこの小坂川にもヤマメたちが戻ってきた。

が、僕たち人間の悪しき諸行の証しは、連続して行く手を阻む小堰とコンクリートの護岸となって残されている。


このような、人工河川化したあまり気分が良くない川でも、やはりヤマメを手に入れたくて竿を延ばすのだが、皮肉なことにその意味では決して期待を裏切らないのがこの川なのである。
 

  小坂の町に温泉宿が一軒ある。

トロン温泉という今風の名前に似合わない重厚な造りは一見敷居が高そうだったが、思いきって一夜の宿を乞うてみた。

綺麗な女将が、「生憎、時間も時間ですから、食事の準備はできませんが、それでも宜しければどうぞお泊まり下さい」という。
 

「お願いします」すかさず返答して泊まることにした。


古い武家屋敷をそのままに生かした歴史を感じさせる宿は感動さえ覚えるもので、風呂もまた最高の優しさで僕たちを迎えてくれた。

 

テント生活の疲れは翌朝までにすべて霧散し、暗いうちに起き出した僕たちは、さらに西へと向かった。

つづく

北へ'96 (米代川)

 米代川は、八幡平の茶臼岳北面から流れ出す安比川が源である。

安代町、鹿角市、大館市を経て能代市で日本海に出会うまで、、短い北流と長い西流を繰り返しながら幾多の支流を飲み込ん東北屈指の大河となる。

その支流のひとつ大湯川が出合うあたり、ほぼ同じ所に南流してくるのが小坂川である。

この川は数ある支流の中でも特筆すべき存在であった。というのは、この川の流域に小坂鉱山が存在するからである。

かつて、鉱山を取り巻く山々は、精錬時に発生する亜硫酸ガスのために樹木がすべて立ち枯れた、さながら死の世界であったのだ。

また、排出される鉱毒水を含んだ排水がこの川を死の川に変えたばかりか、米代川そのものをも長く汚染してあらかたの魚族を排除し続けていたからである。

しかしそれも昔のことで、脱硫装置の普及が進んだ今、過日の面影は既に無く山は緑に覆い尽くされている。

さらに鉱毒水をパイプラインで遥か日本海の海中深くに導くようになってからは、小坂川も米代川本流も、すべてがそれ以前の状態に戻りつつあるようだ。

つづく

北へ'96 (Ⅴ)

皆様お暑うございます。

今日から9月。私の生まれた60年前の9月X日も大変暑かったそうでありますが、こんな夏は初体験です。

庭では秋の虫、空には赤とんぼ、稲穂は小麦色に垂れ下がり、模様はすっかり秋ですが、空の雲と太陽は夏そのもの。

駆け足の秋がやってきても体調を崩さないように、皆様もご自愛ください。

 

 

北へ’96 (Ⅴ)

 津軽石の大川で、杉林を少し入った河畔の休耕田脇に車を停めた。

民家の主人の承諾を得てテントを張り、二人で缶ビールの栓を開けたときに、先ほどの民家のご主人が再び現れた。

「納屋が空いているから使え」との親切に遠慮なく応じることにした。

おにぎりと漬けものの差し入れまでも頂戴して、春の夜は更けていく。

薪スト-ブを囲んで、ご主人から沢山の話を聞いた。

彼は、猟師であり、百姓であり、きのこ採りである。

また、トンネル堀りの出稼ぎを長く行ってきたという。

五葉山の鹿撃ちの話は始めて聞いたし、マツタケ採りは夜中に行うものだと教えてもらった。

夜の更けるのも忘れて聞き入った。

 

こんなにも豊かな自然の中で、彼の人生は輝き、満ち足りていたのだろうと、ふと思った。

乾杯!

北へ'96 (Ⅳ)

  ダムや砂防堰堤で、海からの道が閉ざされていない三陸の河川はあまり期待しない方がよい。

ヤマメは大きくとも20センチ止り。一割も魚篭に入れられればよしとしなければならない。

どうしても良型が欲しければ、人の手による放流が行われていて、ランドロックされた川ということになる。

だから、安家川はちびっこヤマメばかりで釣欲はだんだんそがれていくのだが、この川にいると、釣りの楽しみは魚ばかりではないことがよくわかる。

 

ネコヤナギをかいくぐって流れに立ち込めば、腰から下にまとわりつく水は妖しい女のように美しい。

川岸を歩けば、踏み跡を囲むお花畑は絶品だ。

 

空の魚篭を枕に林の中に寝そべると、遠い空の彼方からやってきた光が、若い緑のフィルター越しに眩しくきらめく。

僕の体を撫でるそよ風は、愛する女の優しささえもとおく及ぶものではない。

 

目を覚ますと、目の前にあったウルイ(オオバギボシ)の新芽が目に入った。

起き上がり摘み取って、そのまま口に含んで噛み砕くと微かな青臭みと特有のぬらめきが口中一杯に広がって僕の体に活力を与えてくれた。

僕は釣り竿を握りしめ、立ち上がって再び歩き始めた。
 

北へ'96 (Ⅲ)

 雪しろ水は本来濁流ではない。

微かに白い濁りを帯びた雪しろ水でも、ヤマメたちは、水温の低下と共に活性を失って食い渋る。

それに加えての、この濁った増水では救いようもない。

季節外れの夏日が続いた影響で、多雪地域はどこの川も大変な水量だ。

 

 眼下の小本川も、薄明の中に見える流れは、川幅一杯に溢れんばかりの迫力だ。

『予想通りだ』。悪い予感は良く当たることが多い。


  釣り場を探して、後はお決まりのロングドライブになった。

支流の猿沢川まで車で溯って二人で小一時間、竿を出した。

とんぼ返りして少し南の摂待川。

休むまもなく更に海沿いに南下して、田老川の田代川。

そして閉井川を飛び越して、津軽石の大川。

気仙川を横目でにらみながら何時の間にか県境を越え、最後は我が宮城県まで、息つく間もなく南下してして、たどり着いたのは津谷川。
 

 

…やっと釣りになる川があった。(疲れました)。

北へ'96 (Ⅱ)

 先日行った真室川の上流は、例年の三倍もの雪に覆われていて、川からの上り降りは結構しんどかった。

報われない釣果のうえに疲労困憊のありさまは、我ながら情けない。

その上に、危なく雪崩と共に川のなかに押し流されてしまうところだったのだ。

冗談抜きで背筋が寒くなってしまった。

 

納竿して道路まで上がり、流れを見下ろしながら車まで戻っているときのことだ。

二十メ-トルほどの崖下に見える流れは、折からの春の陽光を反射して晃いている。

ポイントを視線の中になぞりながらずっと下流を眺めると、光る川面を大量の雪が流れ下っているのが見えた。

『どこから崩れ落ちた雪なのかな』と思いながらそれらしい場所を探すと、小一時間前に私が立っていた岩盤が、崩れ落ちた雪で厚く覆われているではないか。

背筋が寒くなると同時に、〝私はついているのかもしれない〟と思った。『いやっ!、ついている』としか表現しようがない。

 

魚、魚、魚と、そればっかりの釣りキチガイは周囲の状況など目にも入らない。

『予測も、思いも及ばないこと』と、一瞬思ったけれど、今日の気温ならどこで底雪崩が起こっても不思議ではなかった。

 

何事も命あってのものだよね。

 

北へ'96 (Ⅰ)

 この年の黄金週間の釣行は、ここ数年の中では特筆すべき悪条件といえた。

桜はもう一週間以上も遅れ、梅の花がまだ盛りである。

そんな寒い春が続いていたかと思ったら、一転して夏日がやってきた。

行く前からだめなような気がする。それなのに、出かけなければ気が済まないのは、やらないで後悔するよりもやって後悔したほうまだ救われるような気がするからだ。

 

ただ単に惰性と言わない所がいいでしょう?。

『まだ若いからね』と自分に言い聞かせて、……とにかく北東北へと出かけることにしよう。

 

前菜と言ってはなんなのだが、渓流釣りに危険はつきもの。本題の前に先日体験した僕の危機一髪の話から始めよう。

キッツ川(後)

毎日暑い日が続いています。

アユ釣りで川の水に浸かっている時間が最高に幸せです。

昨日も一日アユを追いかけてリフレッシュ!!。この季節この暑さを楽しみましょう。

 

 想像の中で、鏡の下を横切りながらカゲロウを捕らえる渓魚の姿を見る。

毛針を飛ばす前にイメージするのはとても大切なことだ。

上流にある渦巻く流心に乗せると毛針は流れ下って、鏡の面へと滑っていく。

『ほら!やっぱり!』。

一気に抜くことができないのは、でかいからだ。

竿をためて、岩魚の力をいなす。

少し弱るのを待って糸を手繰り寄せた。尺に少し足りない良型だ。腹の下側がうっすらと山吹色を帯び、体側には白い斑点がくっきりとちりばめられた美しさ。  澄み切った空気の中の清らかな流れに生きる岩魚やヤマメたちは、なぜこんなにも美しく装うのだろうか。

晴れ渡った夜、輝く星々は揺らめき瞬いて、流れの緩やかな浅瀬でまどろむ渓魚たちにどんな夢を見せるのだろうか。その星々が舞い降りて体側に宿ったのか、あるいは渓魚たちの美しいパールマークが宇宙へと舞い上がって星々になったのか。

もはや事の真理などまったく意味を持たないほどの『永遠に近い時』が、キッツ川には流れている。

キッツ川(前)

   キッツとはアイヌ語であろう。語彙は知る由もない。

でもとても綺麗な響きがあって、きっとそのような意味がある名前なのではないのだろうか。

 

それはこの川と少しの触れ合いを持っただけで頷けた。

月並みだが、『清らかな水、白い石、優しい流れ』、これらがどれも突出する事なく、調和を持っていまもそこにあったのだ。


  駒ヶ岳から焼石岳へ連なる連峰の、修験者たちの信仰を集めたであろう名前を持つ天竺山から経塚山に至る稜線の水を集めて、北側へ流れ出すのが夏油川だが、その分水嶺の南側の雨水を集めて永沢川に交じり合い、やがて北上川へと吸い込まれていく川である。

 


  カジカガエルの軽やかな鳴き声は、朝靄の中から広がって耳をかすめ、また去っていく。

 

柳に覆いつくされた河原の水際に立つ僕の目には、白く泡だった落ち込みの下流で合流する二つの流れが映っている。

ぶつかって激しく撚れて盛り上がり沢山の小さな渦を巻いて川底へと連なる水流。

その僅か脇に見え隠れる小さな鏡。

 

…『出るとすればあそこしかない』。

それは既にまだ見ぬものに出会える確信と呼んでも差し支えない。

過去の渓(七ヶ宿烏川 )Ⅲ

さて、先週突然にこの身を襲ったギックリ腰はほぼ完治したのですが、坐骨神経痛の症状が強く残って立ち仕事や座り仕事が辛くてたまりませんでした。

試しにと、連坊にある整骨院に変えてみたらこれが大正解、『麻痺は治りませんが痛いところは必ずなおります』。

力強い先生の言葉にエンジン全開です。

明日は山形で背筋を伸ばして釣り竿を高く高く掲げてきます。

今回のエッセイもこれが最後です。おつきあい頂きありがとうございました。

 

 

関集落の少し下にある白石川の橋を渡って街道から外れ、山道を越えると大貫平に出ることができる。

切り通しを抜けたところに三方を小高い丘に囲まれたこじんまりと田畑が開かれており、一、二軒の民家が建っているが、その辺りが下流から釣りのぼってきた場合の納竿場所なのだ。

 

車を走らせながら、どのあたりから川へ降りて彼等を捜そうかと考えていると、遥か凸凹の畔道の先に人の姿が見えた。

よく見ると人の周りになにやら動き回るものがいて、ただごとではない様子だ。いぶかりながら距離を縮めると状況が分かってきた。

紛れもなく、謙ちゃんと大友さんが五、六頭の犬の群れに囲まれて、吠え立てられているのだった。

犬の群れを割るように止めた車に急いで乗り込んだ彼らは、「いや、いや。おっかねがったやー」と安堵の表情を浮かべて、野犬化した犬たちの恐怖を語った。

吠え続ける犬の群れから遠ざかりながら、「釣れだのすか?」との問いに、彼等の口からは夥しい砂に埋もれてしまった烏川の姿が語られた。

これを境に僕たちにとって烏川は、誰も訪れることのない過去の渓となった。