荒川秋色(Ⅱ)

今年は数年ぶりの稲作の不作が伝えられている。

夏は異常気象の連続だったし、大雨と中小河川の氾濫があいついだ。

大きな川は増水と濁りを繰り返し落ち着かない水況が続いて、そのため鮎の育ちはどこも今一つだった。

特に太平洋側はどこもひどい状況だったようで、少しはましな新潟には例年に無く関東地方からの釣師が目についた。
 

 

大雨で川相がすっかり変わってしまったところもあった。

昨年初めての一束釣りを記録できた山北町の府屋大川も川底が砂と小石に埋め尽くされてしまった。

鮎の味も最高だったので今年もと期待していたのだが、すっかり当てが外れて残念でならない。

ずっと上流まで溯ってみたが、どこまでも砂だらけで、きっと前のように戻ることはないだろう。

尋常ならぬことである。 

 つづく

荒川秋色(Ⅰ)

 

後退りしていたときに、軸足が滑って突然バランスを崩した。

前のめりに倒れ込んだとき、長竿をかばったせいか一抱えもある石に左膝をしたたかに打ちつけてしまった。
 

 ウエットタイツには無残に裂け目が入って衝撃の激しさを物語っている。しかし、幸い打撲だけで済んだようだ。そのひりつくような膝の痛みよりも周囲の釣人の視線が気になって、僕は立ち上がった。


  九月も半ば、新潟県荒川。

景色はもう秋色に澄んだ風情を現し始めており、青空も高く天空を覆っている。

夏はとっくに陰りを見せていたが水はまだ暖かく、川岸や水中に立ち込んで長竿を構えている見渡す限りの鮎釣人たちは、さながら祈る巡礼者のようにも見えなくもない。

僕たち鮎釣り師が竿を通してしがみついているのは、鮎か、去り行く夏にか、はたまた人生のこの良き日にだろうか。

釣るものも、釣られるものも、それ見守るもの達も、残された時が余り多くないのだと知っていても気付かぬ振りをしているのだ。


  高く掲げられた鮎竿には、青空を背に無数に群れ飛んでいるアキアカネのうちの何匹かが、幾度もとまろうと試みるが、滑ってうまくいかないようだ。

宇宙観的釣魚考(Ⅱ)

 子供から大人になって、妻を得て三人の子供に恵まれた。

家庭が僕を育て、僕は子供によってさらに育てられた。

僕は生き別れた父親の記憶が全くなく、そのため両親の揃った家庭と、その中での父親の役割というものを学ぶことができなかった。だから、子供達には迷惑を掛けたと、今でも思っている。

娘たちには、その恋人以上の存在でありたいし、息子にとっては永遠の師でありたいと思っている。そして、妻の瞳にはいつまでも魅力的に映っていたいと願っている。
 

 

くどいようだが、決して僕は星占いを信じているわけではない。

でも、家族の出会いも、その広がりも、一人独りの喜びや悩みや涙さえも、この宇宙の法則と無関係とは思われず、星々の煌めきは一人一人の個性のように、天空に輝いている。

その輝きは山奥に行くほどにいや増し狭い渓間に降り注ぎ、サラサラと流れる浅瀬で眠る山女魚や岩魚たちに美しい模様を映しだす。

安息の夜が明け、朝になるとカゲロウを追う渓魚たちの星模様に太陽が磨きをかける。
 

キラキラと輝く水が滴り落ちる星屑のパ-マ-クを持つ美しい魚の命を、また、僕は奪い、その一匹の美しさと、そこに至る思い出をもって病床の妻を訪ねる。
 

妻は言う。
『釣れたの?』
 

僕は言う。
『もちろんさ、ほら』
 

  この永遠の広い宇宙の片隅に天の川と呼ばれる銀河があって、その辺境の空間にささやかな太陽が輝いている。

その回りには惑星が回っているが、命を宿している星は一つしかない。

最も繁栄し栄華を極める人間に自慢できるものがあるとすれば、命を慈しむ心と愛であり、(当然異論はあるだろうが)、最も美しい魚たちは渓に住む山女魚と岩魚である。



 

宇宙観的釣魚考(Ⅰ)

20年も前のエッセイです。


   陽が落ちたばかりの南西の空にひときわ白い輝きは金星である。

その金星と、同じ時刻の東の中空に、赤いまたたきを見せる火星との間に私は立っている。

星占いを僕は、信じたことはないが、反面否定したこともない。 

妻の入院先からの帰り道、僕は道端に車を止めて、中2になる息子と二人でやせ細った三日月の微かな輝きと煌めく金星を眺めていた。

三日月はまるで極限まで引き絞られた弓のようで、金星はその張り詰めた弦の、最も鋭角になった頂点の近くの宝石のように見えた。

〝あの一点を愛そう〟〝希なる瞬間を愛そう〟。

〝いまが最も幸せなときだと、明日病床の妻に話して聞かせよう〟


 繰り返して言うが、僕は星占いを信じたことはない。が、めぐり会いも、別れも、人の運命というものが宇宙の法則と全く無関係とは思われず、それゆえにまだ人生の真実を掴むことができずにいる。

 慰みで釣ることもなかったとは言えないが、今は違う。それでも釣った魚は食べるために殺している。

僕にとって釣りは楽しみの一つであり、獲物は妻や子の喜びの笑顔に直結している。

金を出せば何でも手に入るこの時代なのだから生活のために釣るわけでもなく、対して家族は、僕の釣った渓魚達を最上の御馳走と思っているわけでもない。

言わば、僕の喜びと家族の笑顔は、愛情と言う絆によって保たれ、かつ、支えられている・・・。

その象徴が山女魚であり、岩魚なのだ。

 

つづく

新潟春日町界隈(終)

 白壁の家を右手に見ながら最初の角を右に折れると、出窓の下にいくつかのエビネ蘭を大切に育てている小さな床屋さんがある。

その隣の住人は目の不自由な方らしく、鍼灸マッサージの生業と見受けるが、先ほどの鶯を飼っている家はこの家で、鶯は夏までいい声を聞かせてくれる。

春早くには「ケキョッ、キョッ」、「ツキョッツ、ケキョ、ケキョ」と下手くそだが、上達は早い。

 

仕事に行く朝に、百店満点のあの鳴き声を聞くと思わず『良くやった』といいたくなるのである。

 


 

新潟春日町界隈(Ⅲ)

 町内を直線で貫く道は一つもなく、広い道は二、三本しかないが、細かい道はたくさんあって、いずれも行き止まりになっているところはないといわれている。

これらの細道には、家々が軒を触れ合うようにならんでいる露地にまで季節を彩る花木が植えられている。

それらは通りがかりの人達に見てもらいたいがために競い育てられているに違いない。

 


  雪椿がきれいに咲く家は多く、冬から春へ移ろう頃、深い緑の中に艶やかな妖女の口紅が白い淡雪の中に映えている。


弥生も半ばになれば、姿よりも先に香りで気づかされるのは沈丁花の紫色で、虫も飛ばないこの季節にだれを誘って香りをふりまくのだろうか。

白いこぶしは桜が咲く頃に大きな花弁をバラバラと散らしていく。狭い庭には、いかにも大雑把なこの花は似つかわしくないようだ。


春といえば桜だが、この狭い庭と路地では大木に育つこの木は到底無理である。それならば梅でと、白く楚々とした花が曲がりくねった枝にちりばめられているのを見る。近くに鶯のいる家があって、満開のころには間違わずに囀れるようになるようだ。

やがて野紫陽花は水無月を迎えるのを待ち切れずに色づき始めて、そこ、ここに咲き競いながら、日々色を重ねて梅雨をむかえる。

つづく

新潟春日町界隈(Ⅱ)

 さて、先ほどのターミナルから西へ続く道は斜めに合流してくる道にぶつかって、右へ右へと弓の弧のように湾曲して信濃川八千代橋へと続いている。

この、大きく弧を描いている道の右手一帯に広がっている住宅密集地が春日町である。

戦火にあわなかった新潟市にはこのような老朽住宅街が何か所もあるようだが、僕は他を知らない。

それ故、他の場所がここほど素敵かどうかは知る由もないが、ゆっくりと狭い路地を歩いていると 古い建物が軒を寄せあった空間に満ち、満ちている生活のかおりは僕を少年の頃に連れ戻す。聞き耳を立てているわけではないが、ゆっくりと歩く鼓膜に届く音は、懐かしくもあり騒々しくもある。
 

階段をかけ下りる足音。

『ごはんだよー』、子供を呼ぶお母さん。


兄弟喧嘩の真剣勝負。


『ガチャガチャ、ガチャ』茶碗のぶつかる音。

新興宗教の太鼓の音。


必ず同じところまできて足踏みするピアノの音。


さまざまの音が行き交って、この町には人が生きている証しとしての生活の匂いが色濃く漂っている。

 

つづく
 

新潟春日町界隈(Ⅰ)

   新潟駅近くの古い木造の住宅が密集するこの辺りを指して、口の悪い土地の人はガスガ町と呼ぶ。

しかし何も彼もが新しいもの、流行のものに目を奪われる現代だからこそ、この春日町という古い町に残されている、変わらないものを、僕は賛美したい。
 
 

 新潟駅を下りた万代口からまっすぐに伸びる広い通りは新潟市の素顔では決してない。

その証拠に道は500メ-トル先で緩やかに湾曲すると全く異なった表情を見せ、その先は急に狭くなって信濃川に掛かる万代橋へとつながっていく。

この橋は日本一長い川の最下流に位置する端麗なたたずまいの美しい橋だ。

この辺りが新潟の表玄関に相応しい顔といえるのではないだろうか。

ところで本題の春日町だが、そこに行く前に少し回り道をするとしよう。

 

万代口を背にした駅前左手にバスターミナルがあるが、実は新潟にはここから少し離れたところに新潟交通のバスセンタービルがあって、ここがまたすこぶるつきの素敵な場所なのだ。

バスの発着するセンターの中は少しまえの良き時代の雰囲気に満ちている。

去る人と迎える人の悲しみや歓びが。

通勤や通学の忙しさが。

それらが渾然一体となっているのである。

長距離バスで旅立つ恋人を、ここから送りたい。

愛する人をここで待ちたい。

そんな思いを抱かせる素敵な場所なのである。

 

つづく



 

北へ'96 (終)

 真瀬岳から二つ森に至る稜線に発する三本の源流すなわち一の沢、二の沢、三の沢が清洌な水飛沫を踊らせて合流し真瀬川と名前を変える。

源流が類い希なブナの森であることと三本の沢を順番に禁漁にしていることが、この川をずっと下流域までをも豊かなものにしている。

〝今年はどんな思い出を僕たちにくれるのだろうか〟

心躍らせながら八森でハンドルを右に大きく切り、車は真瀬川に沿った林道に入った。

 


   激しく迸る三十釜の景観を下流に、僕と相棒は、渡渉もままならないほどの水量を見下ろして、さっきから圧倒されている。水量が多すぎるのだ。

遠くまで来たのだから釣って帰りたいなどと、そんな欲望は無いといえば嘘になるが、巡り合わせが悪いなんて、長い人生に珍しいことではない。

…ここまでやってきて、岩魚を何匹釣ったとか、大きなヤマメを釣ったとか、そんな事はもうどうでもいいことだ。

またとない真っ青な青空の下、山間からの日差しが朝靄に光る遅い朝がやってきたし、とにかく釣ってみることにしようか。

僕と相棒は身支度を整えると急な踏み跡を下り始めた。

 
 

北へ'96 (Ⅵ)

米代川水系は魅力に満ち溢れている。
それは、それぞれの流れの源に、失われつつあるとはいってもまだブナの原生林が残っているからだ。

大館から能代までの北側にはあの白神山地を源頭に流れ出す早口川、粕毛川、藤琴川の三本の名川が連なり、南からは阿仁マタギたちの伝説を溶かし込んで阿仁川がある。

かつて阿仁川を遡ったとき、どこまでも透明な深い淵を前に、一度沈み込んだならば再び浮かび上がることもなく閉じ込められてしまいそうな、恐ろしいくらいの清らかさに身がすくんだことがあった。川底は手の届くほどに鮮明に見えているのに、歩を進めるほどに深さが増しその本当の深さを推し量ることができないのである。 

でも、僕たちの目的はこれらの流れではなくそのもっと先にある北秋田の〝宝石のような〟流れなのだ。

あるがまま自然がどの程度残されているかは東北地方に限らず都会から遠い方がいいに決まっている。都会に近かったり時間距離を縮めるのに役立っている高速道路の近くでは、何もしなければ見るまに破壊が進みたちまちゴミが増えていくのだ。

そのような意味で抗い難い魅力をもって存在しているのが真瀬川なのである。